コム朝日記

廉価食パンについての哲学

裁量統制

*別冊法学セミナー司法試験問題解説2015における南川教授の解説を参考にしました。

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Q.行政規則の法的性質を明らかにすることには,どのような意味があるのでしょうか?

 行政規則は,法律に基づく政省令等の法規命令によって処分の要件として規定される場合とは異なり,本来私人に対して法的拘束力を有しないものです。
 そこで,権利救済を訴えている市民の立場からは,形式としては行政規則にすぎないと判断されるルールが,いかなる意味で処分と結びついているのかを明らかにする必要が生じてきます。なぜなら,行政側が当該処分が適法であることの根拠として,処分はそれらのルールにのっとって行われたということを挙げてくることは当然予想されるところですが,それに反論するためには,(1)当該ルールが処分との関係で何らかの法的意味をもつこと,(2)当該ルールを用いた判断に基づく処分は違法であること,という2つのレベルの事項を論証する必要があるからです。
 (2)においては,当該ルールを用いること自体の不合理性・当該ルールを用いる方法の不合理性・当該ルールのみを用いることの不合理性といった具体的な主張を行うことになります。しかし,まずその前提として,問題となっている処分において当該ルールが何らかの法的意味を有していたことが明らかにならなければ,当該ルールにまつわる不合理性を突いて行政側を攻撃することには何ら意味がなくなってしまいます。処分との関係で法的意味を有しないルールであるとなれば,処分の発動において当該ルールは法的には何ら影響力を有しなかったことになり,私人の側がいかにそのルールにかみついたところで,行政側は痛くもかゆくもないといった事態が生じてしまうのです。

 ただし,個人的に次の点については疑問がのこっています。
 第一に,当該行政規則の法的性質を明らかにするというステップは,私人の側と行政の側とで争いが生じ得るステップなのかどうかという点です。すなわち,私人の側が「この行政規則は裁量基準であり,基準の不合理性が認められる以上,本件処分は裁量権の逸脱濫用にあたる」と主張するのに対して,行政の側が「この行政規則は裁量基準ではなく,規則の内容の不合理性が認められたとしても,本件処分はこの規則を基準として用いた結果発動したものではないから,規則の内容の不合理性は裁量権の逸脱濫用を基礎づけない」と反論する,という事態は想定されるかということです。
 第二に,当該行政規則に何らかの法的性質が認められると判断された場合,そのことは果たして後続する裁量権の逸脱・濫用の判断においてどれほどの意味をもつのかという点です。「当該行政規則は裁量基準である」ということから導かれる効果とは,行政側にとっては「当該裁量基準が合理的であれば,それに従って発動された処分は適法である」という主張ができるということです…ということになりそうですが,

 

A「裁量基準が合理的である以上,行政がそれに従わない場合には裁量権逸脱濫用になる」

 →適用に問題があり基準不充足とすれば違法
 →問題なく基準を充足する場合に処分を発動しないのは違法??

B「裁量基準が合理的であっても,行政は場合により他の規定の適用をも視野に入れなければ,裁量権逸脱濫用になり得る」

C「裁量基準が合理的であるならば,行政がそれに従う限り,裁量権逸脱濫用にはならない」
 →Bと矛盾する!

D「裁量基準が不合理である以上,行政がそれに従った場合,裁量権逸脱濫用になる」

 

 

Q.ある行政規則の法的性質が,裁量基準であると判断した場合,問題となっている事例における裁量統制はどのように行えばよいのでしょうか?

 事例において問題となっている行政処分の発動について,それが裁量権を逸脱・濫用したものとして違法であると主張する立場からは,次のような論理構成によって攻撃を行うことが考えられます。
 まず①当該基準が裁量基準として備えるべき合理性を欠いているゆえ,当該基準に即して行われた裁量権の発動は違法であるという構成。
 つぎに,②当該基準が仮に裁量基準として備えるべき合理性を欠いていないとしても,当該基準を機械的・画一的にあてはめて処分を行うことを裁量権の逸脱・濫用と評価するという構成。
 さらに,③当該基準の適用が予定されている法令上の規定以外の規定を適用すれば当該処分を発動しないという途も採り得たのに,そのような考慮をせずに処分に踏み切ったという点に裁量権の逸脱・濫用が認められるという構成。

 

新株予約権の行使条件決定の委任【会社百選29】

【会社百選3版29事件】最判平24・4・24

*本判例と類似の事例に関する問題が,平成27年司法試験論文式民事系第2問〔設問3〕において出題されています。

*別冊法学セミナー司法試験の問題と解説2015における大杉謙一教授の解説を参考としました。

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Q.新株予約権の行使条件の決定を,取締役会に委任することはできるのでしょうか?

 新株予約権の行使条件は,「新株予約権の内容」(会社法239条1項1号)にあたります。したがって,条文上は,新株予約権の行使条件は必ず総会決議で定めることが必要であることになりますから,形式的にはその決定の取締役会への委任はできないという結論になります。
 しかし,同項の趣旨は,新株予約権の発行により既存の株主がこうむる不利益の上限が総会決議によって画されていることを条件として,細目の決定を取締役会に委任することを可能にするという点にあります。そして,行使条件は,それが付されることにより新株予約権者による権利行使を制限するものであり,既存株主の利益を制限するものではありません。そうだとすれば,行使条件の内容の決定を取締役会に委任しても,同項の趣旨に反する結果にはならないといえます。
 したがって,行使条件の決定を取締役会に委任することは可能であると考えられます。
 最判平24も,「旧商法280 条ノ21 第1 項は、株主以外の者に対し特に有利な条件をもって新株予約権を発行する場合には、同項所定の事項につき株主総会の特別決議を要する旨を定めるが、同項に基づく特別決議によって新株予約権の行使条件の定めを取締役会に委任することは許容されると解される」として,委任が許されるとしています。

 

Q.委任によって取締役会が一度決定した行使条件を,その後取締役会かぎりで変更することは可能でしょうか?

 最判平24は,上述のように委任が認められるとしても,その趣旨について「株主総会は、当該会社の経営状態や社会経済状況等の株主総会当時の諸事情を踏まえて新株予約権の発行を決議するのであるから、行使条件の定めについての委任も、別途明示の委任がない限り、株主総会当時の諸事情の下における適切な行使条件を定めることを委任する趣旨のものであり、一旦定められた行使条件を新株予約権の発行後に適宜実質的に変更することまで委任する趣旨のものであるとは解されない」と判示しています。
 そしてこれに続き,最高裁は「上記委任に基づき定められた行使条件を付して新株予約権が発行された後に、取締役会の決議によって行使条件を変更し、これに沿って新株予約権を割り当てる契約の内容を変更することは、その変更が新株予約権の内容の実質的な変更に至らない行使条件の細目的な変更にとどまるものでない限り、新たに新株予約権を発行したものというに等しく、それは新株予約権を発行するにはその都度株主総会の決議を要するものとした旧商法280 条ノ21 第1 項の趣旨にも反するものというべきである」として,事後の取締役会かぎりの行使条件変更が,行使条件の定めについての委任の趣旨(ひいてはそのような委任を許容する会社法の趣旨)に反するとしています。
 ここからは,<①行使条件を付すという制限的方向の決定を委任することは許されるが,②ひとたび行使条件が定められたならばそのことをもって株主の意思の確定的な発現として扱うことを要するから,③事後的に行使条件を緩和方向に変更することは,その株主の確定的な意思に反し取締役会限りで新株予約権を新規発行したのと同様の結果を招くことになるから,これは許されない>という考え方が読み取れると思います。

 最高裁は結論として,「取締役会が旧商法280 条ノ21 第1 項に基づく株主総会決議による委任を受けて新株予約権の行使条件を定めた場合に、新株予約権の発行後に上記行使条件を変更することができる旨の明示の委任がされているのであれば格別、そのような委任がないときは、当該新株予約権の発行後に上記行使条件を取締役会決議によって変更することは原則として許されず、これを変更する取締役会決議は、上記株主総会決議による委任に基づき定められた新株予約権の行使条件の細目的な変更をするにとどまるものであるときを除き、無効と解するのが相当である」という解釈を示しています。

 

Q.最高裁の解釈にしたがい,行使条件を変更する取締役会決議が無効であるとされた場合,当該決議に基づき発行された新株予約権の行使による株式発行の効力はどうなるのでしょうか?

 最高裁は,非公開会社は,新株発行の募集事項の決定は原則として総会特別決議によること(199条),株式発行無効の訴えの提訴期間が1年(公開会社は6か月)とされていること(828条1項2号)に鑑みれば,「非公開会社については,その性質上,会社の支配権に関わる持株比率の維持に係る既存株主の利益の保護を重視し,その意思に反する株式の発行は株式発行の訴えにより救済するというのが会社法の趣旨と解される」という趣旨解釈を展開します。
 そのうえで最高裁は,「非公開会社において,株主総会の特別決議を経ないまま株主割当て以外の方法による募集株式の発行がされた場合,その発行手続には重大な法令違反があり,この瑕疵は上記株式発行の無効原因になると解するのが相当である」として,無効原因該当性についての解釈を示します。
 そして,①「非公開会社が株主割当て以外の方法により発行した新株予約券に株主総会によって行使条件が付された場合」であって,②「この行使条件が当該新株予約権を発行した趣旨に照らして当該新株予約権の重要な内容を構成しているとき」には,「上記行使条件に反した新株予約権の行使による株式の発行は,これにより既存株主の持株比率がその意思に反して影響を受けることになる点において,株主総会の特別決議を経ないいまま株主割当て以外の方法による募集株式の発行がされた場合と異なるところはない」から,「上記の新株予約権の行使による株式の発行には,無効原因があると解するのが相当である」とします。これは,上述の無効原因該当性の解釈へのあてはめといえます。
 さらに,上場条件は「本件新株予約権の重要な内容を構成していることも明らか」であるとして,上述②にあたるといい,したがって「上場条件に反する本件新株予約券の行使による本件新株発行には,無効原因がある」としめくくります。

任意処分の限界

Q.最決昭51・3・16〔風船やってからでいいではないか事件〕は,任意処分の限界についてどのように判示していますか?

 昭和51年決定は,「強制処分にあたらない有形力の行使であっても,何らかの法益を侵害し又は侵害するおそれがあるのであるから,状況のいかんを問わず常に許容されるものと解するのは相当でなく,必要性,緊急性などをも考慮したうえ,具体的状況のもとで相当と認められる限度において許容されるものと解すべきである」と判示しています。
 これは,任意処分に伴う法益侵害の性質・程度と,当該処分の必要性・緊急性の衡量により導かれる「相当性」が認められる限度において適法とする基準であると考えられます。
 任意処分においてもこのような留保が要求されるのは,197条1項本文を根拠とする捜査比例の原則がはたらいているからです。

Q.昭和51年決定の枠組みを前提として,具体的なあてはめはどのように行えばよいのでしょうか?

 

強制処分の意義

Q.刑訴法197条1項ただし書「強制の処分」とは,どのようなものでしょうか。

 井上正仁教授は,「相手方の明示または黙示の意思に反して重要な権利・利益を実質的に侵害する処分」という定義を示されています。

Q.最決昭51・3・16〔風船やってからでいいではないか事件〕において示された定義と,井上教授の定義とは,どのような関係にあるのでしょうか?

 最決昭51は,「捜査において強制手段を用いることは、法律の根拠規定がある場合に限り許容されるものである。しかしながら、ここにいう強制手段とは、有形力の行使を伴う手段を意味するものではなく、個人の意思を制圧し、身体、住居、財産等に制約を加えて強制的に捜査目的を実現する行為など、特別の根拠規定がなければ許容することが相当でない手段を意味するものであ」ると判示しています。
 この判例は,「強制手段」に該当するためには「意思を制圧」することが要件となるという解釈を提示していると考えられます(意思制圧説)。ただし,意思制圧が要件となるのはあくまで「強制手段」該当性においてであり,意思制圧がない場合にも「強制の処分」に該当する余地は残されていると考えられます。
 調査官も,昭和51年決定は,①対象者の意思の制圧,②身体,住居,財産等の重要な権利・事由・利益の侵害という二つの要因により強制処分と任意処分を区別したものと解されるとしています。このことは,井上教授の定義における2つの要素に対応しています。また調査官は,意思の制圧の有無は合理的に推認される対象者の意思に反するか否かにより決すべきとしており,井上教授の定義における「明示または黙示の意思に反して」という要素と同様の判断方法を用いることが示されています。
 結論として,昭和51年決定の示した「強制手段」の意義は,井上教授の定義(重要権利利益実質的侵害説)を用いても「強制の処分」に該当する一領域を示したものであると位置づけることができます。したがって,重要権利利益実質的侵害説の定義をもって「強制の処分」の一般的な定義とすることは妥当であると考えられます。

 

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Q.最大判平29・3・15〔大阪GPS捜査事件〕における判示は,どのように考えればよいのでしょうか?
http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/600/086600_hanrei.pdf
 最大判平29は,「憲法35条は,「住居,書類及び所持品について,侵入,捜索及び押収を受けることのない権利」を規定しているところ,この規定の保障対象には,「住居,書類及び所持品」に限らずこれらに準ずる私的領域に「侵入」されることのない権利が含まれるものと解するのが相当である。そうすると,前記のとおり,個人のプライバシーの侵害を可能とする機器をその所持品に秘かに装着することによって,合理的に推認される個人の意思に反してその私的領域に侵入する捜査手法であるGPS捜査は,個人の意思を制圧して憲法の保障する重要な法的利益を侵害するものとして,刑訴法上,特別の根拠規定がなければ許容されない強制の処分に当たる最高裁昭和50年(あ)第146号同51年3月16日第三小法廷決定・刑集30巻2号187頁参)」と判示しています。
 この判示における「特別の根拠規定がなければ許容されない強制の処分」の要素は,①「個人の意思を制圧」すること,及び②「憲法の保障する重要な法的利益を侵害するもの」であることの2点です。
 ①「個人の意思を制圧」とは,現実の具体的な意思制圧ではなく,調査官解説が「意思の制圧の有無は,合理的に推認される〔対象者の〕意思に反するか否かにより決すべき」(最判解刑事篇平成21年度384頁)とする場合における「意思の制圧」に該当するものであると考えることができます。したがって,重要権利利益実質的侵害説の立場からは,①の要素は「相手方の明示または黙示の意思に反する」という第一の要素と共通のものであるということができます。
 ②「憲法の保障する重要な法的利益を侵害する」とは,重要権利利益実質的侵害説の定義における「重要な権利・利益を実質的に侵害する」という第二の要素に対応するものであると考えることができます。
 以上より,最大判平29は,最決昭51の判示を敷衍し,重要権利利益実質的侵害説に沿う形で「強制の処分」の意義を示したものと評価することができます。このことから,「強制の処分」の意義を一元的に示す定義とし重要権利利益実質的侵害説を採用することの妥当性を改めて確認できるといえます。

 

*古江・事例演習ー設問1

現行犯逮捕

Q.刑訴法上,現行犯逮捕の要件・効果はどのように規定されていますか?

 刑訴法212条1項は「現に罪を行い,又は現に罪を行い終わった者を現行犯人とする」と規定しています。したがって,被逮捕者が「現に罪を行」っていること,または「現に罪を行い終わった者」であることのいずれかが,現行犯逮捕の要件として規定されているということになります。
 そして,刑訴法213条は,「現行犯人は,何人でも,逮捕状なくしてこれを逮捕することができる」としています。したがって,被逮捕者が「現行犯人」に該当するならば,その者を逮捕状なくして逮捕することは適法であることになります。

 

Q.現行犯逮捕の限界を考えるにあたり,条文上の要件はどのように解釈されるのでしょうか?

 「現に罪を行」っているとは,犯人が犯罪の実行行為を行いつつあることをさしているといえます。これを現行性の要件と呼んでおきます。
 「現に罪を行い終わった」とは,犯人が犯罪の実行行為を終了した直後であることをさしているといえます。これを時間的接着性の要件と呼んでおきます。
 そして,条文上は明らかではありませんが,現行性または時間的接着性は,逮捕者自身にとって明白であることが要求されると考えられます。これを明白性の要件と呼んでおきます。明白性は,犯行の痕跡が生々しく残っている状況を現認していること,犯人の挙動から犯罪直後であることがうかがわれること,犯罪の様子について申告を受けていること,犯罪との時間的・場所的接着性が認められること,といった事情によって肯定方向の評価が可能です。
 上記の解釈は,現行犯逮捕が令状主義の例外とされている根拠(犯罪・犯人と被逮捕者との結びつきが明白で誤認逮捕のおそれがなく,かつ,急速な逮捕の必要性が一般的にあること)導かれます。
 

*民事裁判実務の基礎/刑事裁判実務の起訴・147頁

情況証拠による犯罪事実の認定

Q.情況証拠を総合して犯罪事実を認定する場合の立証の程度としては,どのようなものが求められるのでしょうか?

 最判平22・4・27(大阪母子殺害事件)は,次のように判示しています。

刑事裁判における有罪の認定に当たっては,合理的な疑いを差し挟む余地のない程度の立証が必要であるところ,情況証拠によって事実認定をすべき場合であっても,直接証拠によって事実認定をする場合と比べて立証の程度に差があるわけではないが(最高裁平成19年(あ)第398号同年10月16日第一小法廷決定・刑集61巻7号677頁参照),直接証拠がないのであるから,情況証拠によって認められる間接事実中に,被告人が犯人でないとしたならば合理的に説明することができない(あるいは,少なくとも説明が極めて困難である)事実関係が含まれていることを要するものというべきである。

  情況証拠を総合して被告人の犯人性の認定を行う場合,次の二つのアプローチが考えられます。すなわち,①被告人が犯人であることを前提とすれば矛盾なく説明できる事実関係が存在すること,また②被告人が犯人でないとすれば合理的に説明できない(あるいは少なくとも説明が極めて困難である)事実関係が存在すること,の二つです。
 有罪認定の立証の程度についての一般的な基準は「合理的な疑いを差し挟む余地のない程度の立証」がなされているか否か,というものです。上記最判は,一般的基準から一歩進んで,情況証拠によって事実認定を行う場合の具体的基準を述べたように見えます。
 しかし,平成22年重判刑訴5解説(中川武隆教授)は,「有罪認定のための新たな基準を定立したものではなく,事実認定判断の際の視点の置き方について注意を喚起しようとしたものではないかと考えられる」とのコメント(判時2080 号137 頁)がある。本判決は,判例集でも,事例判例とされているところ,今まで述べてきたことからすると,やはり,下線部分を基準と捉えない方がよいと思われる。事実審裁判所としては,間接事実の総合の場面において,斎藤論文も指摘するとおり,一切の論理則,経
験則に違反していないかを慎重に検討するという基本的態度をとるしかないと思われる」と説明され,具体的基準の定立とみることに疑問を呈されます。

預金担保貸付

Q.他人が勝手に私の定期預金を担保とする貸付を申し込んでしまったようです。銀行はそのことを伝えてくるとともに,預金と貸付金を相殺すると通知してきました。銀行は,相殺の時点では預金担保貸付が私の意思に基づくものでないことを知っていたのですから,民478条が適用あるいは類推適用されて預金債権が消滅してしまうなんてことはないですよね?!

 判例は,同様の事案について,次のように判示しています。

最判昭59・2・23民集38巻3号445頁

金融機関が,①自行の記名式定期預金の預金者名義人であると称する第三者から,その定期預金を担保とする金銭貸付の申込みを受け,②右定期預金についての預金通帳及び届出印と同一の印影の呈示を受けたため同人を右預金者本人と誤信してこれに応じ,③右定期預金に担保権の設定を受けてその第三者に金銭を貸し付け,④その後,担保権実行の趣旨で右貸付債権を自働債権とし右預金債権を受働債権として相殺をした場合には,少なくともその相殺の効力に関する限りは,これを実質的に定期預金の期限前解約による払戻と同視することができ,また,そうするのが相当であるから,右金融機関が,当該貸付等の契約締結にあたり,右第三者を預金者本人と認定するにつき,かかる場合に金融機関として負担すべき相当の注意義務を尽くしたと認められるときには,民法478条の規定を類推適用し,右第三者に対する貸金債権と担保に供された定期預金債権との相殺をもって真実の預金者に対抗することができるものと解するのが相当である(なお,この場合,当該金融機関が相殺の意思表示をする時点においては右第三者が真実の預金者と同一人でないことを知っていたとしても,これによって上記結論に影響はない。)。

※①~④の番号は引用者が付しました。

 この判決は,(1)預金担保貸付・相殺について民法478条が類推適用されること,(2)金融機関の善意無過失の判断基準時は貸付時であること,の二点を明らかにしました。
 (1)について,民法判例百選Ⅱ第6版37事件解説(中舎寛樹教授)は,判例理論のねらいは「預金担保貸付け・相殺という仕組みの全体を弁済類似の行為と捉え,預金者を誤認した場合であれ,貸付先を誤認した場合であれ,預金担保貸付けの範疇で生じた問題についてはすべて同様に扱うというところにあるといえる」と説明されます。
 また(2)については,「預金担保貸付けの場合における金融機関の誤認は,478条の典型例とされている預金の払戻しの場合の誤認が弁済の時点で生じるのと異なり,貸付けの時点ですでに発生しており,後の相殺の時点ではじめて生じるのではない。判例のねらいが預金担保貸付けという仕組み自体の保護にあるとするならば,貸付け時における金融機関の誤認を保護しなければならず,そのことからすれば善意無過失の判断時が貸付け時であるとされたのは当然であったということができよう」と説明されます。
 さらに,貸付時の善意無過失に加え実際に相殺までなされたことを要するかという点については,貸付行為自体に478条を類推適用した最判平9・4・24民集51巻4号1991頁を紹介されています。