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コム朝日記

廉価食パンについての哲学

お悩み解決:公共の危険

Q.刑法109条2項,110条において要求されている「公共の危険」とはなんですか?

 放火から生じる危険は,(ア)焼損された建造物の内部にいる人に対する危険,(イ)焼損された物の外部にいる人・物に対して生じる危険に分けられます。対人被害を前提としない109条2項,110条においては,これらのうち(イ)の意味における危険の発生が問題となります。この危険を称して,「公共の危険」といいます。
 その具体的内容について,最高裁は,108条,109条1項物件への延焼の危険に限られず,不特定または多数の人の生命,身体,財産に対する危険をいうとしています(最決平15・4・14)。この解釈は,公共の危険が生じる態様が様々であることを考えれば,108条,109条1項物件への延焼の危険に限定することは合理的でないことから,肯定することができます。これを非限定説と呼びます。
 もっとも,非限定説によれば,公共の危険が認められる範囲が広くなりすぎる危険があります。そこで,非限定説のいうところの「危険」を制限的に考える方向の解釈が検討されるべきことになります。考え方としては,①「財産」についてある程度財産的価値の高い重要な財産に限定する考え方,②「燃え広がり」から生じる危険に限定する(有毒ガス被害や消火活動時の事故被害等は含まない)考え方(LQ各論307頁),③「物理的な延焼可能性」を考慮したうえ,延焼の危険が「財産」のみに及んだ場合には一定規模の危険性の発生が要求されるとする考え方(工藤北斗論証)などがあります。

 

Q.「公共の危険」の内容を解釈により確定したうえで,具体的事案におけるその発生の有無は,どのように判断するのでしょうか?

 行為当時の一般人の危険感によって判断する,という考え方もあります。
 しかし,客観的には実際に被害が生じる蓋然性がなかったのに,一般人の危険感のみを根拠に処罰することは正当でないとも考えられます。これによれば,公共の危険の発生の有無の判断は,客観的に不特定または多数の人の生命,身体,財産に対する危険が発生する
 焼損対象物(例えばバイク)の付近に存在した延焼可能性のある財産(例えば自動車)について,①実際にその財産が何らかの物理的影響を受けた(自働車が炎の熱によりゆがんだ等)場合には,そのことをもって公共の危険の発生を認定することができます。対して,②実際にはその財産が何らの物理的影響も受けなかった(自働車は無傷であった等)場合には,焼損対象物の燃焼状況,気象状況,燃焼実験の結果等から,その財物に対する延焼可能性を客観的に認定することによって,公共の危険の発生を認定することになります。

 

Q.108条〔現住建造物等放火〕,109条1項〔非現住建造物等放火〕では,条文上「公共の危険」の発生が構成要件とされていません。これらの罪において「公共の危険」はどのように扱われるのでしょうか?

 従来の多数説は,現住建造物等放火罪,非現住建造物等放火罪では,条文上の要件が満たされることで公共の危険の発生は擬制されるから,あえて明文の要件として公共の危険の発生が要求されていないのだ,と考えてきました。
 公共の危険(不特定または多数の人の生命,身体,財産に対する危険)の発生は,放火罪全般における共通の処罰根拠だと考えられます。これによれば,108条,109条1項においても,公共の危険の発生を欠けばその処罰根拠が妥当しないということになります。
 そして,108条,109条1項の条文上の要件がみたされても,公共の危険は発生しないという場合がありうると考えるのであれば,条文上の要件を満たすことによる公共の危険の発生の「擬制」は妥当ではありません。そこで,事案において公共の危険が発生しないのであれば,108条,109条1項の罪は成立しないという処理をすべきことになります。もっとも,このような解釈には,構成要件として条文上要求されていないものを付加するという点で,条文解釈としての苦しさを抱えている(公共の危険が発生しない場合,犯罪成立要素のうち何を否定することで不成立という結論を導くのかがよくわからない)という欠点があるといえます。
 これに対して,従来の多数説のように,108条,109条1項の条文上の要件がみたされれば,同時に公共の危険が発生したとみなすという法的判断がなされていると考え,かつそれは妥当であると考えるのであれば,事案の検討に当たって考慮すべきは明文の要件のみであり,具体的な公共の危険の発生の有無は検討を要しないことになります。もっとも,このような解釈には,108条,109条1項ではかならずしも公共の危険の発生が「擬制」できるほどの構成要件が設定されていないのに,具体的な公共の危険の発生の有無を検討せずに罪の成立を認めてしまうことは,放火罪の処罰根拠が妥当しない場合にも罪の成立を認め得ることになってしまうという欠点があるといえます。

※前者の考え方では,108条,109条1項の「重罰根拠」(前述(ア)の危険)と放火罪一般の「処罰根拠」(=公共の危険の発生,前述(イ)の危険)を分離して考え,「重罰根拠」が妥当する場合において,必ずしも「処罰根拠」が妥当するとは考えないことになります。対して後者の考え方では,「重罰根拠」は「処罰根拠」をも内包したものであると考え,「重罰根拠」を具体化した条文上の構成要件がみたされれば,当然に「処罰根拠」である公共の危険の発生も認められるという考え方をとることになるのだと思われます。

 

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Q.「公共の危険」の認識・予見は,故意の認識対象になるのでしょうか?

 判例は,認識対象ではないと考えています(最判昭60・3・28)。
 この考え方の理由づけとしては,110条1項の「よって」という文言は結果的加重犯であることを表しており,加重結果についての認識は不要と考えるのが文理解釈上妥当である,というものが考えられます。